どーも。山縣です。
GW中、奥多摩のさらに奥、標高600mに位置する山梨県小菅村で開催された、
第31回多摩源流祭りに行きました。祭りのテーマは水と火。
日中は山と水の恩恵である特産品に舌鼓を打ち、夜は木組みの塔が10m近い火柱を生み出します。
多摩川の源流は水が綺麗!川底がくっきりと見えます。杉と檜が生い茂り、
長袖で肌寒さを感じる清涼感。大自然の偉大さを感じます。
(写真①:多摩川源流)
そして、偉大さを感じたことはもう一つあります。
それは、小菅村に根付く人々の営みです。
1万人を超える人出で盛り上がった祭りですが、部外者はそう多くは無い印象でした。
事実、夜の部を終了後も最終20時発バスの乗車人数は50人程度。
近隣旅館の宿泊客を含めても、部外者は多くないでしょう。
見世物のファイヤーダンスの踊り子も近隣地区出身の方のよう。
つまり、参加者のほとんどが近隣地域住民かその親族たちで構成されている祭りだと考えられます。
「元気してたか」「久しぶりだな」といった親しげな会話が会場に溢れ、一人参加した僕は、
祭りの喧騒の中に孤独感を感じました。「ああ、僕はここに暮らしている人間ではないのだな」、と。
(写真②:環境としての火柱と太鼓)
大衆向けのイベントが増えたコト消費社会と呼ばれる昨今。集落が力を合わせて作り出し、
絆を深め合う“集落の為にある祭り”というのが減少しているように感じます。祭りに直結する、
日常の営みが、過疎化や少子化、また都市部での世帯の孤立によってなくなりつつあるのでしょう。
世帯の孤立化というのは、今まであった集落的セーフティネットを破壊し、徐々に日本をむしばんでいるのかもしれませんね。
だからこそ、多摩源流祭りは胸にしみるのです。友達でも家族でもない。
けれど生活や冠婚葬祭を共にする身近な他人たちの集まり、集落。
向こう三軒両隣、遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったものです。
公私ともに、有機的文化を大切にし、そして再興させていきたいと固く誓った、そんなGWの一日でした。
(写真③:火と水)